「NHK公開質問状」の文中に記載の質問事項に関連する月刊誌『正論』連載の「NHKウオッチング」の該当部分を抜粋してご紹介させていただきます。(記載順)

★(1)〈NHKスペシャル〉「奇跡の詩人」関連

平成十四年七月号

(前略)

「奇跡の詩人」にヤラセ疑惑濃厚

 今回NHK放送で最も大きな疑惑と論議を生んだのは四月二十八日放映〈NHKスペシャル〉「奇跡の詩人〜11歳・脳障害児のメッセージ」だらう。放映後数日間でインターネットに寄せられた「やらせだ」の声は延べ一万件を超えたと聞く。

番組の主人公は生れた時から重い脳障害をもつ十一歳の少年・君。立つことも喋ることも出来ない。ただ五十音図の文字盤を左手の中指で指すことで意思≠伝える。これまで二千冊もの哲学書や天文学の書物を読み、詩集やエッセイを出版し、それが大人達の心を癒し、感動させてきたと云ふ。所で流奈君の意思伝達の方法とは、母親の千史さん(38)が左腕に流奈君を抱きかかへ、右手に文字盤を持つ。左手で流奈君の左手首を上から持ち、中指の指す文字を読み上げ、それを父親の貴さん(34)がパソコンに打込んでゆくといふもの。所が流奈君の指さす速さが障害児とは思はれぬ程早い。番組の一場面を筆者が時計を使つて測つたところ、六十秒で百六十七文字。一秒で二、三文字といふ速さだ。

更に奇妙なのは、流奈君が文字を指す間、千史さんが右手の文字盤を激しく上下に動かし続けることだ。しかも流奈君は文字を指す時、その目はあらぬ方向を見てゐたり、あくびをしたり、時には眠りかけたりもしてゐる。文字の配列を記憶してゐてブラインドタッチが出来ると説明するのかも知れないが、文字盤があんなに激しく動いてゐたらブラインドタッチは無理な筈だ。いや、指が正しく文字を指してゐるのかどうかの確認を妨げるために文字盤を動かしてゐるやうにさへ見えるのである。この番組に疑念が湧くのは次の点だ。

  1. 流奈君の指は正しく文字を指してゐるのか。
  2. 流奈君の指を使つて文字を指してゐるのは母親ではないのか。
  3. 母親の読み上げる流奈君のメッセージ≠ェ余りにも大人びてゐて、到底十一歳の、しかも脳障害の少年の言葉とは信じられない。
  4. 二千冊もの高度の本を仮に六歳からの六年間に読破したとしても、年平均三百冊以上、毎日ほぼ一冊通読した計算になるが、これは想像を絶することだ。机に向ふことも出来ない流奈君がどのやうにして読書するのか。母親に抱かれて読むのであれば、母親は一日中それに拘束されて他の仕事をする時間はない筈だが――。流奈君の読書するところは全く番組には出てこない。

疑問だらけのNHKの弁明――背後に新興宗教?

「やらせ」の声の多さに、NHKは五月十一日〈土曜スタジオパーク〉「あなたの声にこたえます」の中で番組を担当した山元修治チーフプロデューサーが(1)本当に文字盤を指してゐるのか(2)書いてゐるのは本当に流奈君なのか――の二点を中心にスローモーションを使つて説明を行つた。(1)については「他力本願」といふ文字を指す場面をスローモーションで写したものの、「た」「り」については確かに中指が文字を指してはゐたが「き」「ほ」「ん」「が」等についてはその辺りを動いたと云ふに過ぎず、確認は出来ず。疑惑の核心は(2)。流奈君の指を動かしてゐるのもメッセージを出してゐるのも実は母親の千史さんではないのか、といふ点だ。これについて山元CPは「流奈君だけが知つてゐてお母さんの知り得ない話を流奈君が文字盤で指すのを見たこともある」と説明してゐたが、何故か、その場面を示す映像は示さず。「やらせ疑惑」の有無を解明すべき決定的映像をNHKは遂に公開しなかつたのだ。この問題については『週刊文春』五月十六日号、二十三日号が詳報してをり、それによれば流奈君のメッセージ≠ェ某新興宗教の教へと酷似してゐること、NHKスペシャルがそれには全く言及しなかつたことへの疑念など、興味津々たる調査結果がレポートされてゐる。次号で更に追及する予定。

(平一四・五・一七)

平成十四年八月号

(前略)

総務大臣殿、この詐欺放送を御覧あれ

 前回〈NHKスペシャル〉「奇跡の詩人」のヤラセ疑惑について書いた。これを続ける。神童%木流奈君は六歳の時に「文字を通して世界が大きく広がつてゆく喜びを表す」次の詩を書いたのださうだ。

〈「文字」という法則。/乾いた空気。/のどを抜ける。潤いがほしい。ジュースの香り、/果物のしぼり汁。かすかに湧く希望のように、/脳いっぱいに広がるフルーティーな光。/のどを潤すジュースと同じだ。/「文字」。/脳にいきわたるジュース。〉

これが、喋ることも、歩くことも、立つことも出来ない六歳の重度の脳障害児が作つたものと信ずることが出来ようか。流奈君は番組の中で、母親千史さんに支へられた左手で文字盤の文字を目にも止らぬ速さで指し、次のやうな「言葉」についてのメッセージを伝へる。

〈私は混沌の中にいました。この混沌が秩序あるものに変化していくのを私は体で感じることができました。私がまだ肉体的に混沌の状態でありながら、精神的には混沌の中に残らずにすんでいるのは、私が言葉を伝える術を得たからです〉

これはテレビ収録の時、即ち十一歳の時のもの。ところが妙なことに気がついた。流奈君が母親に抱かれて「アーアー」と声を出して、あらぬ方を向いてゐる時、すでに母親に持たれたその左手は素早く動いて〈私は混沌の中にいました〉といふ冒頭の言葉を母親の口を通して%`へてゐることだ。してみると、これは流奈君ではなく母親の創作したメッセージではないのか、といふ疑ひが生じるのは当然だらう。しかもよく見ると、流奈君の指が文字盤を指すのではなく、母親が右手に持つ文字盤が左右上下に激しく動いてゐるのに気がつく。その動かし方が余りに早いので、いかにも流奈君の手が動いてゐるかに見えるだけで、流奈君は実は何もせず、また恐らくは小難しいことは何も考へてゐないのだらう。いかにも流奈君から出た如く見せかけて、実は母親が自分のメッセージを発信してゐるだけなのだ。云つてみれば流奈君を人形にして母親が手の込んだ腹話術を演じてゐるのに過ぎない。五月十一日〈土曜スタジオパーク〉で山元修治プロデューサーがスローモーション・ビデオを使つてヤラセではないことを証明しようとしたが、先回書いたやうに証明にはなつてゐない。そこで筆者は現段階に於て、この番組は全篇これインチキとヤラセであると断ずるものだ。この番組制作に特定の思想・宗教組織が関はつてゐるとすれば、更に重大な問題にならう。もし右の批判にNHKとして異議があるならば、流奈君の手を支へる母親の役を第三者に依頼し、公平な学者など第三者立会ひの下に、再度スローモーションによるビデオ検証を行ふことを要求する。

NHKがこれに関して反証か謝罪をせぬ限り、「日本ダービー」と「奇跡の詩人」の両放送を、前者は偏向・国歌侮辱放送、後者は不実・詐欺放送として共に放送法違反とみなし、必要と認める対応をするので予め承知ありたい。

NHKを監督する総務大臣、NHK予算を審議承認する衆参両院総務委員諸氏よ、卿等にはNHKの斯かる偏向・ペテン放送に対して厳重注意、警告、処分あるいは予算ストップ等の制裁措置を講ずる責任がある。斯様な国歌侮辱やペテン番組を問題にせず、毎年七千億円近い予算を承認してきた背任の責任は極めて重大だ。放送番組の実態に踏込まないシヤンシヤン手打式の如き形式的なNHK予算審議のあり方を抜本的に見直すやう強く求める。なほ大臣や議員諸氏が前述のビデオを御覧になりたければ、必要部分をダビングして有料でお送りするので、氏名、住所、電話を明記してFAX〇三―三五六二―〇八〇八「NHK報道を考へる会」へ申込まれたい。

こんな詐欺放送に受信料など払へるか!

(後略)

(平一四・六・一五)

平成十四年九月号

NO!NHK――「奇跡の詩人」はインチキだ!

 遂にNHKに対して強硬な「NO!」が突きつけられた。二回にわたつて小欄が批判してきたNHKスペシャル「奇跡の詩人」を糾弾する『異議あり!「奇跡の詩人」』なる本が六月下旬、同時代社から出版されたのだ。詳細は手に取つて見て頂くことにして、二、三の重要な点を紹介する。

(1)番組再検証のため、NHKの番組を見逃した人を中心に録画ビデオを観る会が各地で行はれてゐる。大阪では五月二十八日に上映会を予定してゐたところ、前日、主催者A氏にNHKから「警告」と題する文書が届いた。「録画ビデオ上映は著作権法違反だから中止せよ。止めなければ法的措置を取る」と。A氏は「警告」に従ひ、ビデオの問題部分だけを流すに留めたさうだ。NHKは余程「警告」がお好きのやうで、平成十二年二月にも筆者が制作したビデオ「検証 NHK偏向報道」を著作権法違反を理由に「廃棄・回収」を要求する「警告書」を送り付けてきた。その詳細と反論は本誌同年五月号で紹介した。当方はそんな「警告」など一笑に付し、どんどんビデオを複製し販売し、受信料不払促進上映会の用に供してきてゐる。その後、NHKからは何の音沙汰もない。違法と云ふなら提訴すればいい筈だが、NHKは決して「法的措置」を取らない。提訴すれば裁判官の前でビデオを上映してその真偽と是非が問はれることになり、NHK側の敗訴が明らかだからである。だから「奇跡の詩人」もNHKの警告など無視してどんどんビデオ上映会をやればいいのだ。「NHK報道を考へる会」(中村代表)でも録画を複製し、頒布する用意をしてゐる。

「NHK側の思い込み≠ノ薄ら寒くなりました」

(2)かつて流奈君と同様ドーマン法を試みた十歳の重症女児の母親はかう憤慨する。「悔しくて号泣して眠れませんでした。奇跡の詩人≠ェいる訳ないのは私達には自明のことです。奇跡を望んでのたうち回って、叶えられなかったことです。その奇跡≠ェ真実ならば、私は自分のやってきたことに激しく後悔、自己嫌悪せねばなりません。ドーマン法も、新興宗教に入るのも、本の出版も個人的にやるのであればいい。ただ回りの人達に迷惑をかけたり、重症児の親達の気持を揺さぶるのだけは止めて欲しかった。だから天下の〈NHKスペシャル〉がその宣伝をしているとは信じられませんでした」

この母親は〈土曜スタジオパーク〉(五月十一日)の前にNHKの制作者に抗議の電話をしたところ、「ドーマン法は賛否両論で医学的根拠がなくトラブルも多い。問合せにはその旨伝えている」と云ふので「判っているならその点を発表して下さい」「母親の思想背景を調べて下さい」「責任者が真剣に説明検証して下さい」と頼んだが、その願ひは無視された。「NHKにメールも二回出しました。スタジオパークでの釈明、謝罪を待っていたのです。責任者は出てきましたが、ドーマン法には全く触れず、謝罪どころか、何と『インチキではない証明』を始めたのです。・・・・・・上の娘も言いました。「どう見たって自分で書いてないよ。文字盤が指に近づいてるし、母親、手つかんでるじゃん」・・・・・・山元ディレクターが全く信じている様子で薄ら寒くなりました。オウムの人みたいです。NHKの上層部も信じているのでしょうか?・・・・・・NHKにメールする気も電話する気も失せました」

放送法(第三条の二)違反は明白

この本に寄稿してゐる専門家は何れも「奇跡の詩人」を専門的立場からインチキと断定し、NHKの番組制作と放送の責任を追及してゐる。著者も云ふ通り、「表現の自由とは表現の勝手」ではない。この番組は「報道は事実を曲げないこと」「意見が対立してゐる問題ではできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を定めた放送法第三条の二の明らかな侵犯であり、健全な世論形成を妨げ、民主主義の発展を損ふものと云ふ他ない。

バレるの惧れて再放送中止相次ぐ

「奇跡の詩人」の再放送は見送られ、北米向けの衛星放送もこの番組の放送を中止した。インチキのばれるのを惧れたからだ。五月二十二日、板谷駿一放送総局長は定例会見で「第三者による検証が必要ではないか」と問はれ、「障害児を実験対象にするのは適切ではなく、検証番組は考へてゐない」と発言した由。障害児を材料にして、いいやうに番組を作つて全国放送してきたくせに、検証を要求されると「障害児の人権」を口実に逃げ切らうとする。NHK式御都合主義の好事例と云ふべきだ。

こんな放送法違反番組に受信料など払へるか!

(後略)

(平一四・七・一六)

平成十四年十月号

(前略)

「奇跡の詩人」ビデオ上映会を開催しよう

 このインチキ番組「奇跡の詩人」について、NHKが謝罪も検証も拒否し続けてゐる姿勢を筆者は許せない。「NHK報道を考へる会」ではこのビデオを大量に複製頒布し、各地での上映会開催を推進して行きたいと考へてゐる。今秋には、総務省関係者を含む国会議員を対象にした上映会も検討中である。

(後略)

 

 

 

(平一四・八・一六)

★(2)「日本ダービー」関連

平成十四年八月号

NHKよ、「君が代」は「馬の尻」か!?

「いくら何でもこれはひど過ぎる。是非〈NHKウオッチング〉に書いて下さいよ」

 怒りで興奮気味の声が受話器に飛び込んで来たのが五月二十七日。電話の声の主は「産経抄」の名コラムニスト、石井英夫氏だ。良識ある硬派の社会時評で鳴らす氏の怒りはどうも尋常一様ではない。訳を聞くと、前日二十六日「第六十九回日本ダービー」の中継放送。開会式で国歌が流れる間中、NHKテレビのカメラは「馬のシリ」を写しつ放しだつたと云ふ。

「馬のシリ?」思はず聞き返すと「さう。肛門のある尻ですよ。次々と馬の尻ばかり写してるんで、何故国歌が歌はれる場面で馬の尻の映像を流し続けるんだと怒り心頭に発した」云々と石井氏はカンカンである。

 いくら反日反皇室のNHKでもまさかそんなことが、と半信半疑の気持ながら、何とか日本ダービー中継のNHK総合とフジテレビのビデオを入手。NHKのビデオを見て驚いた。「場内ではオペラ歌手・塩田美奈子さんの『君が代』(『国歌』ではない)独唱です」と福澤浩行キャスターの声。ところが、マイクの前に立つ塩田さんの姿が写り、最初の二小節を歌つたところで、何者の指示によるのか、突如カメラは場内から馬の待機場所に切替り、足慣らしをしながら、一列縦隊で進む馬の背後から尻を次々と撮りまくり出した。タニノギムレット、ノーリーズン等々十八頭の出場馬の尻のオンパレードだ。国歌が終るまでこれが続く。独唱者の表情、会場の風景など他に流すべき映像はいくらでもあらうに、りにつて馬の尻の品評会≠ニはNHKは何を考へてゐるのだらう。国歌と同時に最も下品な映像を放映することによつて、思ひ切り国歌を侮辱したかつたのだらう。「国歌〈君が代〉なんて所詮〈馬の尻〉の象徴のやうなものさ」――NHKが国民にぶつけたかつたメッセージはこれだつたのだ。

フジテレビの方が公共放送にふさはしい

 フジテレビの〈スーパー競馬「日本ダービー」〉のビデオも見た。同じ開会式を放映しながら、カメラの写した情景は全く違ふ。国歌独唱の時には「国歌独唱です」と吉田伸男アナ。きちんと「国歌」と放送したところもNHKとは違つてゐた。塩田美奈子さんが国歌を独唱してゐる間、カメラはバルコニーで国歌を歌ふ小泉首相、会場風景、歌手の歌ひぶり、そして国歌独唱の後は観衆の大きな歓呼と拍手で揺れる会場を写し出してゐた。「とても美しい歌声です。聞き入つてしまひました」と司会のさとう珠緒さんが感動を率直に述べたのも爽かだつた。本当に素直で明るく、気持の良い放送であつた。同一場面を報じながら、陰湿で歪んだNHKの放送と比べて、何と云ふ相違だらう。一方は視聴者の気持を明るく勇気づけ、他方は暗く、恨みがましいものにする。一体、どちらが公共放送か分らぬではないか。受信料を取るべきでない放送が受信料を取つてゐるのだ。

国歌侮辱は憲法と放送法の違反だ!

「日本ダービー」に限つてもNHKの国歌侮辱はこれが初めてではない。平成十年六月「第六十五回日本ダービー」表彰式では国歌吹奏が始つた途端に曲が消え、別の奇妙な歌が入り、サッカー試合の映像が流れ出した。そして「サッカー・ワールドカップ、BSは全部やる」といふBSの宣伝が流される。ところが、この奇妙なテロップの終つた時、国歌吹奏はまだ終つてをらず、第六小節にかかるところ。テロップ挿入のタイミングを誤り、国歌を完全に消去することに失敗した訳だ。正しく「隠すよりる」だつた(本誌平成十年八月号小欄)。筆者はこの後、NHK視聴者センターへ電話した。応対したT氏によれば抗議電話が何本もあつた由。その時T氏は「『君が代』が国歌として法制化されてゐないことが問題で、それを先づ国がやるべきだ」とも云つてゐた。その「君が代」は既に法制化されて「国歌」となつてゐるではないか。だのに何故NHKはそれを「国歌」とも呼ばず、へ侮辱までするのであるか。それこそNHKが遵守すべき憲法や放送法の明らさまな違反と云ふべきだ。

こんな偏向報道に受信料など払へるか!

(後略)

(平一四・六・一五)

平成十年八月号

「君が代」が消された!!

国歌に対する、これは何といふ侮辱であらうか。どんな弁解をしようと、国歌「君が代」を否定し、なし崩しに抹殺し去らうとするNHKの姿勢は、この放送で動かぬ証拠を残してしまつた。問題の放送は六月七日午後二時五十分から三時五十分までNHK総合で実況中継された「第六十五回日本ダービー」の表彰式の場面だつた。

芝生に並んだ表彰台に関係者が上り、アナが「只今から第六十五回日本ダービーの表彰式を行ひます。最初に国歌の吹奏を行ひます。どうぞ(御静粛に願ひます?)」と云つた途端、「君が代」ならぬ奇妙な女声の歌が入り、サッカー選手が跳ね回つたり、抱き合ふ様子、サッカー場の観衆などの映像がテロップで流れ出し、「君が代」が消されてしまつたのだ。そして「サッカー・ワールドカップ、BSは全部やる」といふBSの宣伝が文字と音声で入る。この間三十秒。この奇怪なテロップが終ると、何とまだ表彰式場の国歌吹奏は終つてをらず、第六小節にかかるところ。テロップ挿入のタイミングを誤り、国歌を完全に消し去ることに失敗した訳だ。頭隠して尻隠さずといふか、正に「隠すより現はる」のな放送となつてしまつた。

NHK会長の説明求む

 この君が代隠し≠フ放送で、『正論』編集部気付や、筆者宅への手紙・電話・ファックスで寄せられた抗議情報十五件。視聴者の怒りのすさまじさを物語る。筆者はビデオを入手して放送を確認した後、NHK視聴者センターへ電話した。応対したT氏によれば、同センターにも数件の抗議電話が入つてゐる由。放送担当者の説明を聞かせてくれとT氏に要請したところ、数時間後に電話が入る。

T「W杯の宣伝をダービー放送の枠内でやりたかつたので、放送の主眼であるレースの終つた所でテロップを入れただけ。他意はない」

中村「W杯宣伝テロップは番組の途中でなく、終了後に入れればよいではないか」

T「スポーツ・ファンに宣伝したかつた」

中村「それにしてもテロップ挿入場面が不自然で不適切だ。国歌吹奏は最も厳粛なるべき場合ではないか」

T「自分もさう思ふ」

中村「他国の国歌吹奏の場面でもNHKは宣伝テロップで消すだらうか」

T「それはしないと思ふ。ただNHKは高校野球など他の場面でも国歌を流してゐる」

中村「それは言訳にならない。どんな理由があつても国歌冒涜は許されないのだ」

T「以後注意するやうに云つておいた。問題は『君が代』が国歌として法制化されてゐないことで、それを先づ国会がやるべきだ」

中村「国歌法制化の議論を持ち出すとNHKが先づ反対の報道キャンペーンを張るのではないか。議員はマスコミの反対を恐れて国家法制化の論議をしないのだ」

T「NHK受信料をちやんと払つてほしい」

中村「出来れば払ひたいのだ。受信料不払にまで追ひつめた因責はNHKにある」

T「『NHKウオッチング』の力は大変なものだ。私共は皆ピリピリしてゐる」

中村「NHK報道の影響力に比べれば蟷螂の斧のやうなものだ」

T「ジャーナリスト養成塾を作つたら」

中村「そんなことを云ふ位ならNHK新入社員に対して講演させてくれたらどうか」

T「先生は極端だからむつかしい」

中村「自分は努めて極端を排し公正を求めてゐるつもりだ。ただ正義のためここ一番といふ時には『千万人と云へども吾往かん』の気持はあるが。これだけ条理を尽して話してゐるのに『極端』と云はれるのは心外だ」

T「判つた。極端といふ言葉は撤回する」

中村「君が代隠し≠ノついてNHKは他意はないと主張しても視聴者は納得できない」

 約二十分間のやりとりは並行線に終る。あの君が代隠し≠フテロップが意図的でないとすれば、会長あるいは放送総局長から責任ある説明を求めたい。さもなければ、あれを見た百人が百人とも意図的と解釈するだらう。

(後略)

(平一〇・六・一七)

★(6)教育番組関連

平成十四年九月号

(前略)

なぜ教育TVはこの人を登場させたのか?

 学校教育崩壊の背後にNHKありと本欄はかねてから警鐘を乱打してきたが、五月二十七日教育テレビ〈にんげんゆうゆう〉「市民が教壇に立つ」は端なくもNHKによる教育破壊工作の裏面を窺はせるものであつた。

 東京都杉並区立向陽中学校では生徒の父親の一人が「よのなか科」といふ授業のカリキュラムを作つて学校に持込んだところ、学校側もこれを受け容れ、五月から現代社会の授業の中で実施してゐると云ふ。番組の主役は、その「よのなか科」の発案者・藤原和博といふ人物だ。この日のテーマは「経営戦略」。自分が近隣に新規開店するハンバーガー店の店長になつたと仮定し、開店する場所を町の地図の中に記入させ、その理由を説明させると云ふもの。これは成程生きた社会科≠ニ云へるかも知れない。これはハンバーガー店の話だから問題はないが、今後は「少年法」「クローン人間」等思想性の濃い問題をテーマにすると云ふ。

 さてこの藤原氏だが、実は来年度から杉並区が公立中学校に採用する民間人校長として同区が推薦してゐる人なのであるが、この仁について実は様々な疑念が出てゐるのだ。

民間人校長予定者≠ノ数々の疑念

 子供を杉並区の公立中学校に通はせてゐる主婦A子さんから藤原氏について次の意見が寄せられた。

(1)「よのなか科」の授業について。義務教育は応用編の前に先づ基本を教へるべきだ。

(2)今回の授業は問題ないやうに見えるが、藤原氏は他の中学で女装家の女性?による授業や援助交際肯定の男性による授業を行つてをり、教育上極めて好ましからざる人物だ。NHKは何故、その部分を知りながら、それには触れず、このやうな人物を敢へて教育界に売り出さうとするのか。

(3)この人は他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいと云ふ刹那的自由を教へ、日本の奥床しい心は不必要であると生徒に思ひ込ませる危険な授業をしてゐる。生きるテクニック≠ヘ教へても生きる力≠ノはならない。

(4)藤原氏の本は性的描写が露骨過ぎる。『よのなか』『ルール』等の著書にもニューハーフが写真入りで載つてゐるが、これが教育的だらうか。

(5)右二著の共著者である宮台真司・東京都立大助教授の著書『野獣系でいこう!』の表紙は悪書としてビニール本にすべきものだ(中村註。その表紙とはベッドに向ふ向きにうつ伏せになつた女が右手で自分のスカートを腰の上までまくり上げ、一糸まとわぬ白いお尻をガバッとこちらへ突き出してゐる写真。但し肝心の部分はタイトルで隠してはある。尾籠な話で恐縮だが日本では俗にふ閨房秘技「四十八手」の中の「下手やぐら」「送りとつたり」「鶴の」等々に於けるアレなのだが、著者はこれを無風流にも「野獣系体位」と呼ぶらしい)。この宮台氏を教室に呼んで授業させる藤原氏の神経は異常であり、反教育的である。

(6)杉並区には常識ある立派な人が多いのだから広く公募して真に卓れた人物を民間人校長に起用すべきだ。

 この問題は六月十八日の都議会でも古賀俊昭議員(民主)が教育委員会に要旨次のやうに質問してゐる。

(1)藤原氏は昨年度、足立区立第十一中学校で「よのなか科」の授業をした時、女装した男性を登場させ「どこまでイジくるヒトのカラダ」といふ授業をした。(2)この人は他人に迷惑をかけなければ援助交際をしてもよいといふ考へに生徒を誘導する授業をしてゐる。(3)自殺がテーマの授業に呼ばれた講師は「人を殺してはいけない」といふルールはないとして、大人と同じ責任を果せない生徒に、自殺についても自己決定のみを至上のものと教へる異常な授業をした。これは教育ではない。

 藤原氏は櫻井よしこ女史等三人との共著『中学改造』の中で「民間人校長に」と書いてゐるさうだ。あの櫻井よしこ女史が共著者とは一驚したが、それも藤原氏の売込みに大きく貢献してゐるらしい。更にNHK教育テレビに出演したとなれば、次の本の略歴や帯には「NHK教育テレビでも活躍!」などの太文字が麗々しく躍ることだらう。いやむしろそれを予め計算した上でNHKが藤原氏を出演させたのが事実ではなからうか。教育破壊運動に於ける情宣機関としてのNHKの隠微な工作の一端、斯くの如しである。

(後略)

(平一四・七・一六)

 

 

 

 

平成十五年一月号

(前略)

NHKが中高生にペテン調査

 何度も書いて来たことだが、やつぱりNHKの教育番組はをかしい。いや、をかしいを通り越して危険なものが感じられさへする。

「ゆとり教育」「平等主義教育」の行き過ぎが生徒の学力低下を招いてゐる現状への反省から、本年に入つて文科省が「学びのすすめ」を提唱してゐることは周知の通りだ。だがこれがNHKには面白くないらしく、あらゆる教育番組は勿論、ニュース報道まで総動員して「ゆとり教育」路線の宣伝に汲々たる有様だ。学力低下、学校嫌ひ、学級崩壊などを生む原因となつた「ゆとり・平等教育」を、なぜNHKは奨励するのか。国の方針や世論の大勢にも逆行する独善偏狭の教育観を押しつけることが公共放送に許されるのか。

 十月二十七日〈ニュース7〉は「中高生の意識調査」の結果を伝へてゐた。この四、五月に全国千八百人の中高生を対象にNHKが調査(七五%が回答)したものと云ふ。それによると「頑張る」と「のんびりと自分の人生を楽しむ」では中学生では前者四四%、後者五二%、高校生では前者三四%、後者六一%だつたと云ふ。更に中学生では二十年前の昭和五十七年に「頑張る」が六三%だつたのが今回は四四%にまで大幅に減少し、「楽しむ」は逆に三四%から五二%に増えたと強調し、「夜眠れない」「イライラする」が中高生とも二十年前に比べて減少した(数字は示さない)と云ふ。

 いかにも勤勉や努力が中高生には人気がないと思はせる調査結果だが、「他人に負けないやうに頑張る」のを選ぶかと問はれれば多くが否定の回答をするのは判り切つたこと。これが「まじめに努力する」か「遊んで暮す」か、「世の為人の為に尽せるやう頑張る」か「自分の快楽を求めて生きる」かといふ形の設問ならば過半数が前者を選ぶに違ひない。NHKの問ひ方にトリックがあり、「頑張る」が少くなるやうに設問が作為されてゐるのだ。

 また「不眠」「イライラ」が減少したのが、丸で「人生を楽しむ」方へ意識が変化した結果であるかの如く印象づけようとしてゐるが、それならばなぜ「減少」の程度を数字で紹介しないのか。相関が推測できる程の「減少」ではないからではないのか。欺瞞的な報道だ。斯様に意図的作為的な調査≠ワでして、NHKは日本の教育をどんな方向へ誘導しようとしてゐるのだらうか。

これが「ゆとり教育」推進の張本人

 十一月四日早朝の〈ホリデーインタビュー〉「ゆとり・求めつづけて〜寺脇研」を見ればNHKの意図がよく分る。黒田あゆみアナがインタビューする寺脇研とは文部省大臣官房政策課長、文部科学省大臣官房審議官を経て、この八月から文化庁文化部長。今年四月から公立小中学校の授業内容が三割削減され、完全週五日制となつたが、この「ゆとり教育」推進の中心人物だ。広島県教育長の時、広島県の教育レベルを全国最低にしたことで悪評が高く、日教組的感覚で生徒の学習意欲減退、学力低下、学級崩壊にひたすら職権を行使してきた男だ。中学生の頃、父親に勉強をうるさく云はれて自殺を図つたことがある等とぬけぬけテレビで喋つてゐたが、よほど精神力が薄弱なのだらう。大学時代、授業には出席せず、一人で歓楽街をふらついて映画を観たり、寄席を覗いたり、自分一人の生活を楽しんでゐたと半ば自慢気にゆとり生活≠告白してゐた。今でも文化庁文化部長室の書架に漫画全集を並べてゐるのを得意気にテレビ撮影させてゐるのだから五十歳の文部官僚の感覚とは思はれない。「学生時代の自分一人の生活が今にどうつながつてゐるのでせう」と黒田アナに訊ねられて「自分らしく生きるつて云ふことぢやないの。大人は若者らしくとか、中学生らしくつて云ふことを求めたがるけど、それつて、とてもをかしいよね」とふ。

 自分らしさを求めて孤独になる、といふことは青春期にはありがちだが、それは所詮、疱瘡のやうなもの。文部行政の責任者になつてからも、自分の青春の息の痕≠懐かしがつて、青臭い人生観を中高生に押しつけるのは我執が過ぎる。無責任だ。この人の人生観とNHK調査の「のんびりと自分の人生を楽しむ」といふ質問事項の何とぴったり符合することか。このインタビューの狙ひが奈辺に存するのか、これでお判りになるだらう。

また藤原和博氏を出演させたNHKの隠れた意図は?

 同じ十一月四日教育テレビ〈教育フェア二〇〇二〉「日本の宿題・シリーズ学校」のテーマは「校長の挑戦・教師の意識改革」。見てゐて吃驚したのは、異常な授業で問題になつた例の藤原和博氏が再び登場し、あの東京・杉並区立向陽中学校で実験してゐる「よのなか科」の授業が又しても紹介されたことだ。

 この異様な授業は本年五月二十七日教育テレビ〈にんげんゆうゆう〉「市民が教壇に立つ」で紹介され、視聴者の疑念と批判を招いた(九月号本欄)にも拘らず、NHKはその批判を嘲笑ふやうに再度全国放送の電波に乗せて教室や茶の間に流したのだ。藤原氏は来年度から杉並区立中学校の民間人校長として区から推薦されてゐる人物だが、教育に携はるには余りに異常、不適切な点が多いため都議会で問題になつた曰く付きの男である。

「よのなか科」とは、従来の基礎的知識を教へる社会科授業を否定し、いきなり生徒に実社会の問題をぶつけて考へさせるといふ、良く云へば斬新奇抜だが、援助交際や自殺を是認したり、女装した人物を授業に登場させたり、常軌を逸した非教育的な授業なのだ。この仁が公立中学校民間校長に推薦されてゐる件については、子供をもつ多くの母親達から反対の声が起きてゐるが(NHKは一度もこの反対意見を紹介したことがない)、目下、都教育委員会委員・米長邦雄氏からも(1)この人物が政治的に中立な教育者なのか(2)行き過ぎたジェンダーフリーについて、この人自身の母や夫人を例にして見解を示すこと(3)援助交際を悪いことと必ず教へること(4)入学式、卒業式で必ず国旗掲揚、国歌斉唱をすること等々七項目について確認要求が杉並区教育長宛に提出されてをり、右の中、一項目でも否であれば藤原氏の民間校長就任には反対であると明記されてゐる。藤原和博氏とはこれ程問題の多い人物なのだ。何故、杉並区は、他に多くの人材があるのに、斯様に問題のある人物をわざわざ公立中学校の民間人校長に持つて来ようとするのか。不可解千万である。

 更に許せないのは、斯かる異常な人物を繰返し全国放送で紹介するNHKである。前記九月号でも書いたことだが、NHKはこの人物をテレビ出演させてその知名度を高め、先づ民間人校長就任を成功させ、更にそれを突破口として、杉並区の教育全体を崩壊に導かうとしてゐるのではないか。それがNHKの深謀遠略と筆者は睨んでゐる。

 先述の如く、反対陳情も相当数に上つてをり、しかも反対者には知的レベルの高い健全な女性が多いことを筆者は知つてゐる。公共の電波に一方の側の主張ばかり乗せるのは放送法の明白な違反である。

こんな放送法違反番組に受信料など払へるか!

(平一四・一一・一七)

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