刊行の辞
| 獨 協 大 学 教 授 | 中村 粲 | |
| 昭和史研究所代表 |
昭和五十一年、私はパール判決書を約十分の一の長さに抜粋し、英語と歴史の両面にわたって解注した『日本弁護論 (In Defense of Japan's Case)』T、Uを研究者出版株式会社から大学用英語教科書として上梓した。若い学生に広く読んで欲しかったからである。東京裁判では朗読も許されず、以後は占領軍によって本印刷を禁じられたパール判決書原文が、抜粋とはいえ印刷されたのは、憚りながら『日本弁護論』が我国で最初にして、また唯一のものであった。
東京裁判終結五十年の今年、パール判決書原文を全文刊行する事業を昭和史研究所で企画したが、諸般の事情で計画が停頓していたところ、思いがけず図書刊行会から右刊行について相談があり、もちろん欣然協力を諾し、二十余年、門外不出の重要資料として私が保管してきたパール判決書原文の完全コピーを図書刊行会に提供し、それを基に新たな組版を起したのが今回出版するパール判決書全文(英文)である。
よく引用されるパール判決書の触りの名文はいずれも和訳文で、原文に当って確かめることが難しかったが、今回の出版で原文を確認することが極めて容易になった訳である。研究者にとって間違いなく労力の節約となろう。
東京裁判に対するパール判事の姿勢は、法的正義という横糸と歴史的思索という縦糸によって貫かれていると言ってよい。このような立場からパール博士は、国際法によらず、マッカーサー制定の条例で裁判を行うこと、事後立法によって、しかも戦勝国だけで裁くこと等を批判し、また歴史的には白人勢力による東亜侵略や共産主義運動から自国とアジアを防衛しようとした日本に立場に思いを致し、日本の戦争や対外行動の意味と動機を理解しようとするのである。斯様な観点に立つ時、「共同謀議による侵略戦争」説など日本断罪劇の脚本に過ぎず、東京裁判それ自体が博士にとっては「儀式化された復讐」でしかないのも蓋し当然であろう。
パール氏は長年イギリス植民地に呻吟してきたインドの代表判事である。さすれば、東京裁判多数意見に対するその反対意見は、西洋的覇道文明それ自体への、抑制された批判とも言えるであろう。とまれパール判決書は、二十世紀に於ける勇気ある人間精神の金字塔として後世に残るに違いない。